入間の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

埼玉県入間市歴史探訪

入間市の概要
入間市は埼玉県南西部の市で、埼玉県所沢市、狭山市、飯能市と東京都青梅市、瑞穂町に隣接しています。南部には狭山丘陵の広がる緑豊かな土地で、温暖な気候に恵まれており、狭山茶の主産地として全国で有名です。かつては東鎌倉群跡でやきものが盛んに生産され、つくられた瓦は国分寺に使用されていました。
近年では工業都市、住宅都市としての発展が著しく、埼玉県の中核都市として発展しています。

入間のあゆみ

市内からは約1万5千年前のものとみられる石器が出土され、その頃から人々の生活がはじまっていたとされています。坂東山遺跡をはじめとする数々の遺跡からは縄文式土器や居住後がたくさん発見されています。しかし、弥生時代〜古墳時代にかけての遺跡は今のところ見つかっておらず、“稲作が主流の時代になると、人々は水の豊富な地へ移り住んだのではないか”等、様々な説が研究されています。
奈良時代になると、天平13年(741)に聖武天皇により全国に国分寺および国分尼寺を建てるよう命じられ、武蔵の国(現在の東京都と埼玉県)にも国分寺が立てられました。 この時使用された50万枚の瓦を焼いた釜場のひとつが東金子窯跡群です。加治丘陵に残るこの遺跡では、渡来人の技術伝達により登り窯を使用する高度な技術が用いられ、瓦の他に須恵器もつくられていました。後に七重塔が再建されると、焼き物の生産はほとんど行われなくなっていきました。
時代が中世に移ると、武蔵の国では武蔵七党と呼ばれる武士集団が活躍しました。武蔵七党のうちの一つ、村山党の一族である金子氏は入間の地でその姓を名乗りました。村山党で最も有名な人物といわれる金子十郎家忠は保元の乱(1156)で初陣を飾った後、平治の乱(1159)、源平合戦(1180)でも多くの武功をたてた為、文治3年(1187)に播磨国鵤荘(現在の兵庫県太子町)の地頭職の任につくという恩賞を与えられました。
江戸時代になると扇町屋村では町場が開かれ、日光往還の宿場町としても栄えました。六斎市では米や雑穀を扱い、穀市として有名になりました。江戸中期にすすむと狭山茶の生産が本格的に行われるようになり、横浜港の開港とともに海外への輸出がはじまりました。
明治時代に入ると養蚕・織物業が盛んに行われるようになり、昭和13年(1938)には陸軍航空仕官仕官学校が設立されましたが、戦後アメリカ軍の進駐によりジョンソン基地となりました。昭和48年(1973)に返還され、現在の入間基地に至ります。
昭和 41年(1966)11月1日には入間市が誕生しました。
入間市は農業・商業地帯から工業都市へと発展し、さらに東京近郊に近いという地域性から住宅地としても発展してきました。平成8年(1996)には首都圏中央連絡自動車道のインターチェンジが完成したため、交通の利便性も高まり、埼玉県の中核都市のひとつとしてます発展しています。

入間市の名前の由来
古代に行われた律令制施行による国郡里制以来の郡名「入間郡」に由来するとされています。入間の意味は“谷の奥の狭間”や“間に入ること”など様々な説があります。


入間市の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
c 入間市博物館ALIT
住所: 〒358-0015
埼玉県入間市二本木100 [地図を見る]
電話番号: 04-2934-7711
開館時間: 9:00〜17:00(但し入館は16:30まで)
休館日: 月曜日(その日が祭日または振替休日の場合はその翌日)
休日の翌日(その日が土・日曜日または祭日である場合は除く)
年末年始(12月27日〜1月5日)
館内整理日(毎月第4火曜日。ただし、休日である場合は除く)
入館料: 大人200円、高・大学生100円、小・中学生50円(20名以上団体割引あり)
※小学校修学前の方、65裁以上の方は無料
※身体障害者手帳および療育手帳をご持参の方とその介護者1名は無料
※5月18日、11月1日、11月14日は無料







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